三國連太郎の本当の「死因」と、彼の人生にまつわる衝撃のエピソードが明らかになりました。2013年7月14日、三國は90歳で亡くなり、その死因は救急呼吸不全でした。彼は糖尿病を患っていましたが、癌のような重大な病に苦しむことはなく、亡くなる数日前まで普通に食事を取っていたといいます。
また、三國の遺骨を巡る家族間のトラブルも報じられています。彼の息子である俳優・佐藤浩市と三国の最後の妻・裕子さんの間で、遺骨の処理について意見が対立。裕子さんは散骨を望んでいた一方、浩市さんは自身が決めた墓に納骨することを希望していました。最終的に裕子さんが譲歩し、浩市さんの希望が通ったとされています。
三國連太郎は、代表作『釣りバカ日誌』で石田えりと共演していましたが、彼女が94年に降板した背景には三國の行動があったことが明らかになっています。三國は石田に魅了され、アプローチを試みたものの、彼女に無視されたことで制作側に圧力をかけ、降板を余儀なくさせたとされています。
また、三國と息子・佐藤浩市の間には長年の確執がありましたが、2000年代に入ってからは孫の誕生をきっかけに関係が改善したとのことです。浩市と三國は互いに苗字で呼び合うなど、かつての緊張がうかがえますが、孫の存在が親子の絆を取り戻すきっかけとなったようです。
三國連太郎の人生は、華やかな俳優業と私生活の波乱に満ちています。彼の名声と同時に、多くのエピソードが彼を取り巻いており、今後もその影響力が色あせることはないでしょう。