「なんで! なんで! なんでなの?」突然の死に小林幸子も動揺…病気発覚から5ヶ月で死去、日本中から愛された大物歌手「八代亜紀(享年73)の最期」
〈「借金100万円。目の前は真っ暗」16歳で父親と絶縁、給料をマネージャーに持ち逃げされたことも…それでも「歌手をあきらめなかった」八代亜紀(享年73)の壮絶人生〉 から続く
そのあまりに突然の死に、歌謡界は悲しみに包まれた――2023年12月30日、73歳でなくなった歌手の八代亜紀さん。多くの日本人、歌手仲間から愛された彼女の人生を、朝日新聞編集委員で、昨年10月に亡くなった小泉信一氏の新刊『 スターの臨終 』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 最初 から読む)
情感豊かな天性の歌唱の凄さは、日本歌謡史の中でも「唯一無二」。だが、才能におごらず、ひたすら音楽の勉強を続けた。
八代は、アメリカ南部の都市・メンフィスを訪ね、黒人労働者の歴史を学んだことがある。思い出したのが、幼いころ熊本の父親が歌っていた浪曲だった。その中に子守歌のメロディーが入っていた。子守奉公に出された貧しい農家の娘たちが、故郷に思いを馳せ、つらさを口ずさむことで我が身をなぐさめたという。「哀愁漂うメロディーは、日本の歌の根源。日本のブルースです」と八代は語る。
ドスの利いたハスキーボイス。情感を切々と歌う八代演歌は、清純派を売りにしたアイドル歌手を吹き飛ばす迫力があった。ファンには派手な装飾を施したデコトラ(デコレーショントラック)の運転手が多かったのもうなずける。長距離運転の孤独や仕事の過酷さを、八代演歌は癒す効果があるのだろう。
所属事務所によると、八代は2023年8月下旬に体調不良を訴えて複数の病院を受診し、膠原病の一種である免疫異常の指定難病にかかっていることが判明した。心配だった筆者が事務所社長に連絡をとったところ、「大丈夫です。一日も早い復帰を目指し、治療とリハビリに励みます」と前向きだった。
八代自身も「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね」とのコメントを発表した。再び元気な八代に会えると信じていただけに、容体が急変するとは事務所のスタッフをはじめ誰も思っていなかったに違いない。
2023年12月30日、急速進行性間質性肺炎のため死去。くしくも、日本レコード大賞が開催された日だった。享年73。