梅宮達夫さんが81歳で亡くなったのは2019年12月12日でした。彼は日本の芸能界で長年にわたり活躍し、特に『不良番長シリーズ』で知られる名俳優でした。彼の晩年は病気に苦しみ、2016年には腫瘍の摘出手術を受け、2019年には尿管の摘出手術を行うなど、健康面での不安を抱えていました。
梅宮さんは1938年に満州で生まれ、戦後は茨城県に移住。その後、東京の東映にスカウトされ、映画界に足を踏み入れました。1965年に『夜の青春シリーズ』がヒットし、続く1968年の『不良番長シリーズ』での成功が彼の名声を確立しました。特にこのシリーズは、コメディ要素が加わりながら16作にわたり続き、多くのファンを魅了しました。
私生活では、1972年に梅宮クラウディアさんと結婚し、娘の梅宮アンナさんも誕生しました。梅宮さんは、彼女に多くの愛情を注ぎ、家族との絆を大切にしていました。しかし、彼の過去には複数の交際相手もおり、特に大門せつ子さんとの短い結婚生活や、若いつよさんとの同棲生活が知られています。また、カルーセル麻紀さんとの関係も話題になりました。
彼は晩年、病気と闘いながらも、芸能界に対する厳しい見解を持っていました。梅宮さんは「今の芸能人はスポンサーに気に入られるタレントばかり」と語り、昭和のスターとしての誇りを持っていました。彼の死後、娘のアンナさんは父の資産を整理する際、エンディングノートにはレシピや日記しか残されていなかったことを明かし、その後の調査で多くの資産を発見しました。
梅宮達夫さんの人生は、華やかな芸能活動と波乱万丈な私生活に彩られており、彼の影響は今なお多くのファンに受け継がれています。