〝原点〟を告白してくれた坂本冬美
【今週の秘蔵フォト】もはや日本演歌界の女王として抜群の実力と存在感を誇る坂本冬美は、昨年のNHK「紅白歌合戦」で実に36回目の出場を果たした(紅組史上3位)。そんな坂本がまだ27歳だった1994年10月9日付本紙には、演歌歌手としてのルーツを語ったインタビューが掲載されている。
演歌低迷期の当時は業界の未来を担う新星として注目を浴び、紅白も6回出場を果たしていた。小学生の時に石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を聴いて将来は「歌手になろう」と決意したが、高校を卒業するまでチャンスらしいチャンスは回ってこなかったという。
ところが出身地である和歌山の名産品「紀州梅干し」の会社に入社すると「近所にカラオケ好きのおじさんがいて、昼休みになると連日のようにそこに行って歌っていると、おじさんがそれをテープに録音して応募しちゃったんです」。これがきっかけでテープ審査に合格した坂本はNHK「勝ち抜き歌謡天国」に出場。石川さゆりの「波止場しぐれ」を歌って優勝したというから人生は分からない。
87年に「あばれ太鼓」でデビューすると一気に人気歌手に。以降は同番組の歌唱指導をしていた故猪俣公章氏を恩師と仰ぎ「作曲からプロデュースまで本当によくしてくださいました」と感謝の意を表している。
その猪俣氏の「船で帰るあなた」はアルバムにも入らない遺作でもあったが、坂本は94年2月についにこの作品を発表。「自分自身のなかでも新しいスタートを切るため」と決意を新たにしている。
持ち前の美ぼうと同時にどこか求道的な姿勢すら感じさせる坂本だったが「休日にはお買い物に行ったり、映画を見に行ったり。でも田舎に帰っている時が一番落ち着くわ」と白い歯をのぞかせた。結局、この年も「夜桜お七」で7度目の紅白出場を達成。以来、年々貫禄を増しながらも美しさを保ち、演歌界の女王として活躍を続けている。 (敬称略)