「お前どうするんだ」「日テレを辞めます」キャリア絶頂期に突然アナウンサー“クビ宣告”…元日テレアナ・町亞聖(53)が語る、テレビ局を退職した“本当の理由”

元日本テレビのアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活動する町亞聖さん(53)。介護をしていた母を亡くして1年後、アナウンサーとして活躍していた時に報道局への異動を言い渡される。「唯一の宝物」だったアナウンサー職を奪われた彼女は、どう立ち直ったのか?

――お母さんががんで亡くなって1年後、町さんはアナウンサーから報道局へ異動するように言われます。

町亞聖さん(以下、町) 内示の通知が張り出されて異動を知りました。前兆もなかったですね。入社6年目くらいだったから、まさか異動には引っかからないだろうと思ってたんですけど。

理由は分からないです。アナウンサーになってからずっと医療や介護についてやりたいと発言してましたし、立ち上がったばかりの『NNN24(日テレNEWS24)』で、報道にいる先輩が3分ぐらいの企画をやらせてくれたりして。会社としたら「そんなにやりたいなら報道に行きなさい」ってことだったのかもしれません。

――アナウンサーから報道というのは日テレではよくあることなんですか。

町 木村優子さんや藪本雅子さんであったり、私よりも先に希望して報道に異動した方はいました。アナウンサーの異動でいうと、10年を超えたぐらいでテレビでの露出も減って、周りからも「そうなんだね」って納得される感じの時もあるんですけど、5〜6年目ってアナウンサーの全盛期なので普通は異動はないんですよ。

私自身も番組をたくさん抱えていました。『いつみても波瀾万丈』『深夜の音楽会』に朝の番組、あとは今にも通じる真面目な番組もやっていましたし、ナレーションもしていました。そんなときの異動だったんです。

母を失って大きな喪失感を抱えていた時期に、アナウンサーという職まで失ってしまって。本当に衝撃でしたね。私がようやく手に入れた、私にとっては唯一の宝物がなくなってしまう。色々な逆境を乗り越えてきましたが、さすがにすぐには立ち直れずに人知れず泣いていました。

受け入れる報道局側も「町は報道志望だもんね」っていう感じでした。ただ私としてはあくまでアナウンサーとして報道番組に携わりたい、医療や介護の問題を伝えたいと言っていたつもりだったんです。

なので報道局にいった後にも上司にはアナウンサーに戻りたいと希望を毎年伝えていたんですけど「お前も懲りないなあ」といった感じで、結局戻ることは叶わなかったですね。

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