田中角栄元首相の政治家としての歩みとその裏の顔について、石原慎太郎氏が興味深い証言を行いました。田中氏は昭和の時代に大きな影響を与えた政治家であり、彼のスピーチや政治手法は多くの官僚たちに信頼されていました。田中氏が当選したのは1947年、彼は高等小学校卒でありながら、官僚たちとの関係構築に努め、特に優れた人材を見抜く能力に長けていました。
田中氏は「日本列島改造論」を提唱し、官僚たちと協力しながら国の政策を推進しましたが、その背後には金権政治の影がありました。石原氏は、田中氏が大倉大臣に就任する際、金銭の流れが劇的に変わったことを指摘し、彼が金の力を理解していたと述べています。田中氏はお金を使う際の心理的側面や、その危険性を深く理解し、相手のプライドを傷つけないよう配慮していたといいます。
また、ロッキード事件についても言及され、当時の裁判が不公正であったこと、現代であれば無罪判決が出る可能性が高いとする意見もあります。田中氏は、他の政治家が金銭的な利益を得る中で、彼自身の金権ぶりが問題視され、世論に翻弄されることとなりました。石原氏は、田中氏の魅力的な人柄や先見の明が官僚たちを引きつけた理由だと強調しました。
田中氏の資産も注目され、目白台の邸宅や軽井沢の別荘など、当時の評価額は巨額にのぼりました。彼の政治資金の運用に関する裏話も多く、表向きの政治資金とは異なる「裏金」の存在がうかがえます。このように、田中角栄氏の政治家としての姿は、表と裏が交錯する複雑なものであったことが明らかになりました。